皆様、こんにちは。オフィスTヒーリングセンターの外川(とのかわ)です。
2024年が始まりましたね。
皆さまは、新しい年はどのような年明けでしたでしょうか?
悩みの処方箋
第3回 アダルトチルドレンの癒しを考える
■ 原因のない苦しさはありません。
ACのお悩みの原因は、一人では見えにくいものです。
それは、小さな頃から日々の中で傷つきが起きているために当たり前の事になっていて、傷ついていることさえマヒしてしまっていて気づいていないことがあるからです。
我が家の本当の姿 ~傷みの根源が見えたかも~
オフィスTのクライアントの皆さんは、冬休みをどう過ごそうかと、実家で過ごすのはできるだけ短くしたいから、何日に帰って何泊して帰ってこようとか、いろいろ悩まれていました。
お盆であれ、お正月であれ、ACの方は実家で過ごすのがとても難しいものですね。
オフィスTでは、3年ぶりに帰ったのに、やっぱり親は何も変わっていなかったとガッカリした方や、気を遣って体調を崩された方も何人かいらっしゃいました。
その中の1人Aさんは、実家から戻りホッとしたその晩に熱が出て嘔吐してとかなりな重症でした。
実家にはそんなにも緊張するものがあったのですね。
「大人の自分がこんなに反応が出るなんて」、「これを小さな子供が日々感じて暮らしていたのかと思うと、自分が可愛そうでなりません」
とAさんは話されました。
コロナ禍の時は、「コロナがうつるから帰ってくるな」と言われて、今度は「帰ってこい」の一言で大人しく帰る私がいる。いまだに親に振り回される自分がいる。
それでも久しぶりの帰省だから歓迎してくれるかもしれないと期待して帰っても、結局、近況すら聞いてもくれず、昔と変わらずそれぞれが好きなテレビを見て過ごすだけ。
それでも大きな問題が発生しなかっただけ良かったかなと苦笑いして、淋しさが増えただけだなと、「やっぱり私に関心なんてないんだ」と実感しました。
でも良いこともありました。
思い込んでいたことが違った、我が家の本当の姿が見えてきたんです。
Aさんの話
Aさんは面倒だなと思いながらもやはり家族、3年ぶりの帰省を喜んで迎えてくれるかもと、期待を持って実家へ帰りました。皆さんはどうしても期待してしまうのです。
今度こそ求めているものが手に入るかと、今度こそ、3年も会っていなかったのだから、色々聞いてくれるかも・・・
でもそこで出会うのは、やはり何も変わらない親の姿でした。
Aさんは、小さい時から、父親によく殴られていました。いよいよこれ以上殴っては危ないとなると、母親が出てきて父を止めてくれました。
だから母は味方だと思っていました。
でも全然違っていました。
我が家の本当の姿
父が怒り出すのは実際は母のせいでした。
例えば、お酒が出ていないと、「酒がないじゃないか!」「遅いじゃないか!」と父が怒鳴り始めます。ホントにいつものこと、「分かっているんだから、そのタイミングで準備すればいいのに!。」と私は腹が立ちました。
「母がお酒を出すのを手際よくやってくれたら私が殴られることにはならないで済んだのに。」
こんなだからこの家が嫌なんです。
結局とばっちりが来て、「お前がボーとして、お母さんの手伝いをしないからだ!」とかになるんです。
そして母と父は大げんかになります。
今回もいつもと同じでした。機嫌が悪くなる父。「早くしろ!」と文句を言う父。
「今やってますよ!うるさいな~」と母。
母も父に聞こえるか聞こえないかの声で文句を言います。(多分聞こえてる)
父に怒鳴られて、可哀そうな従順な母ではなかったんです。
そして「お正月くらい穏やかにご飯食べさせてよ!(実際には言えませんが…)」と自分までイライラしてきました。
そして、そんなやり取りを見て「は!」と気づいたんです。
こう、これが我が家のコミュニケーションの形だ。
癒しを始めるまでは、私が悪いのだと思っていました。
私がもっと父の機嫌を上手に取れていたら、あるいは私がもっと出来のいい子だったら、親の機嫌も良かったかもしれない。
自分が上手にできないから、こんなことになるんだ。
お母さんの力にならないと、お母さんを助けなきゃ、お母さんを幸せにしなくちゃ。
そんな風に思って、ずっと自分を責めてきました。
でもそもそも、お酒を飲みすぎるお父さんも悪いし、お母さんもわざと怒らせているみたいで、こういうのが心理ゲームなんだ。チョッカイを仕掛け合って、ケンカしていたんだと分かりました。
ただ静かに気持ちを伝え合えばいいだけなのに、結局ケンカしないと気持ちを言えないんだって、わかりました。
この二人のやり取りを見て育ってきたから、人と関わるのが怖くなって当たり前。
本当のコミュニケ―ションを私は知らなかったんだ。
楽しい会話、穏やかな話し方を私は知らなかった。
だから自分が人との会話が苦手なのはこのせいだったんだと理解しました。
それに、母はちっとも味方なんかじゃなかったし、私が悪かったわけじゃないんだと分かりました。
帰宅して、あんなに具合悪くなるのだから、私も相当気を遣い、緊張し、怒鳴る父を恐れていたのだと分かってきました。それが自分でも気づかないくらい感覚がマヒしていたんですね。
だから、面倒でも実家に帰ってみて良かったかもしれないです。 我が家の真実が見えたのですから。
Bさんの話
Bさんは、35年間も父親とまともに話したことがないことに気づきました。
何がいけないのか分かってきました。
父は無口で、あまりしゃべる方ではありません。でも何か気に入らないとすぐに怒鳴ります。
母親とは普通にしゃべっていたつもりでしたが、結局は母の愚痴を聞いていただけでした。
お隣の奥さんがいつも朝早くから布団を干してパンパン布団を叩いてうるさいとか、父親が何も手伝わないとか、すぐ怒鳴るとか・・・
今、大人になって、「楽しい話し方」が分からないことに気づきました。
いつもなにか言われるんじゃないか?怒られるんじゃないかと不安です。
ですから誰かのグチ話になると安心していました。
愚痴を聞いたり、言ったりするのは母との会話のおかげで得意ですから。
それに、陰口、悪口を言い合えるのが親友と思っていたくらいですから。
その日、1月3日 明日からはまた仕事が始まるし、今日はゆっくりお風呂に入ろうとお湯に浸っていると、急に母親の怒鳴る声が聞こえてきました。
母:「ドア閉めろって言ってるだろう!」
妹:「いま閉めるところだよ!!」「うっせえなー」
B子さん:「なんてひどい言葉だ!」・・・
:「あ~びっくりした~」久しぶりに聞いた母と妹の会話。これが家族の会話だった。
今まではいつものやり取りで、自分も実家にいる時は、いつもあんな言葉遣いを当たり前に使っていたなあ。
でもそんなにひどい言い方だと気づいていませんでした。久しぶりに聞いて、驚きました。
我が家には、穏やかなやり取りがなかったんです。
ですから乱暴な言い方をしていてもこれが普通なので気づきませんでした。
実家がこうだから、私は人と会話をするのが苦手なのかと分かりました。
それも楽しい会話が出来なかったのです。
怒ったりけなしたり、そんなやり取りの中にいたから、「笑いながら話すが」できないんです。
いつもひどい言い方でけなされたり、怒鳴られたり、人と関わるのが怖くなっても当たり前でした。
コミュニケーションはスキルを学んだだけではダメなんだと実感しました。
根本的に自分が変わらないとダメなんだと思いました。
いつ怒鳴られるか、人にどう思われるかばかり気にして、人が怖かったのです。
だからいつも警戒して、「人を受け入れる」、「信頼する」こともできません。これでは人との関りがうまくいくはずがないと分かりました。
自分が優しい気持ちになれないと、やさしい関係や会話もできないのだと思いました。
お二人のお話しでも分かるように、生まれ育った環境は、その人のモノの見方や感じ方、表現の仕方、コミュニケーション力にも影響を与えますね。
Cさんの話
Cさんのお話しでは、例えば、不意に話しかけられるのが苦手。とっさの返事ができないとおっしゃいます。Cさんは、常に身構えているのです。
例えばお昼休み。お腹いっぱいに食べてしまうと、リラックスして気持ちがゆるんでしまうから、「危険、やられてしまう」。だからCさんは、いつもおにぎり一つしか食べないそうです。
常に身構えているから
Cさんには、ヒステリックになる母親がいます。だからいつも身構えています。
いつでも逃げられるように、いつでも、傷つかないように、母親が急に文句を言いだして、ヒステリックに怒り始めたら、すぐに心にシャッターを下ろします。心に矢が突き刺さらないように、心の扉を閉めるために常に身構えているのだそうです。
だから気楽な気分ではないので、気楽な話なんかできるはずがないんです。 安全を確かめないと言葉は発せません。
自己無効化に気づこう
皆さんのお話をお聴きしていると、その人がそうなったのにはそれぞれの理由がありましたね。
ですからまずは、自分を責めるのをやめましょう。
親との関りで否定される、自分というものを「無効(無効化)」とされてしまうのです。
そしていつの間にか、自分が悪い、自分がダメなんだと自分でも思い込んでしまい、自分で自分を「無効(自己無効化)」してしまうのです。それで自分でも自信を失い、世界は怖いと思い込んでいるのです。
ですから、まずはその認知の歪み(すべての人が怖いわけじゃないなど)感じ方や考え方の修正が必要ですね。
それには根本にある傷つき、痛みの手当てをしてあげましょう。
それから、自分の世界の中で必要とされるコミュニケーション・スキルを磨いていくとよいですね。
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小さな気づき、大きな変化
私は昔、「私は」と言えばいいのにわざわざ「私なんかさぁ」と言っていました。口癖ですね。
無意識で、自分を否定する言葉を使っていたんです。自分を卑下して、自己無効化していたんですね。ストレートに「私は」と自分を出すのがやはり怖かったんでしょうね。
それに気づいて、それからは、「私は」と言うように心がけました。
そうしたら段々に人生が変わっていきましたよ。
ちょっとした言葉だけど、ちょっと変えてみるだけでも人生って変わるんですね。
取り組みって難しく考えなくても、何か小さな違和感に気づいたら、それを少し変えてあげれたら、大きく変わっていくかもしれません。
今年もよろしくお願いいたします。
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